大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)4031号 判決 1975年3月03日
原告 甲野花子
右法定代理人親権者父 甲野一
同母 甲野月子
右訴訟代理人弁護士 豊川義明
<ほか六名>
被告 乙村春子
右訴訟代理人弁護士 平山芳明
同 山田庸男
被告 大阪市
右代表者市長 大島靖
右訴訟代理人弁護士 千保一広
同 江里口龍輔
主文
一、被告乙村春子は原告に対し金三五万円およびこれに対する昭和四五年一月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告の被告乙村春子に対するその余の請求ならびに被告大阪市に対する請求を棄却する。
三、訴訟費用は、原告と被告乙村春子との間においては、原告に生じた費用の三分の一を同被告の負担、その余は各自の負担とし、原告と被告大阪市との間においては全部原告の負担とする。
四、この判決は第一項にかぎり仮りに執行することができる。
事実
一 申立
1、原告
「被告らは各自原告に対し金四〇〇万円およびこれに対する昭和四五年一月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求める。
2、被告ら
請求棄却、訴訟費用原告負担の判決を求める。
二 主張
1、請求原因
(一) 昭和四四年五月一日午後〇時二〇分頃、当時大阪市立南市岡小学校六年生であった乙村正が教室前の廊下で同級生の原告や丙川夏子をたたいていさかいを生じ、同日放課後の午後二時二〇分頃同校講堂裏に原告、丙川夏子、乙村正ほか数名が集まって話し合いを始めたところ、正はいきなり夏子の顔をたたき、さらにこれをとがめた原告の左眼付近を手挙で力一ぱい殴りつけて逃げていった。
(二) 原告は眼の痛みがひどく、同校の保健室に連れていかれて、高木養護教諭に眼を冷やしてもらい、同教諭の指示により午後五時頃まで保健室で寝たのち、担任の八尾満里子教諭に付添われて校医の小林眼科医院に行き、治療を受けた。そしてその後多根病院に通院し、同年六月五日から大阪中央病院に入院して、同月二七日に左眼の手術を受け、この結果左眼の視力は一たん〇・一に回復し、八月二日退院した。
ところが、昭和四五年一月になって再び原告の左眼が痛み出し、同月二三日大阪中央病院に二回目の入院をし、同月二九日阪大病院で手術を受け、二月二四日中央病院を退院したが、左眼の視力はもどらず、裸眼で〇・〇一、矯正視力で〇・〇三で、ほとんど失明に近い状態である。
(三) 乙村正は当時一一才一か月(昭和三三年三月二七日生)の少年で、行為の責任を弁識するに足りる能力を有していなかったから、その母である被告乙村春子が法定の監督義務者として原告に対し損害賠償の責に任ずべきである。
(四) 本件事故の発端となった教室前でのいさかいは、担任の八尾教諭の眼前で行なわれたものであり、それが発展して同日授業終了直後に学校敷地内での本件傷害事故に至ったのであるが、八尾教諭および隅田一三校長は学校における児童の生活関係につき法定の監督義務者に代わって児童を監督する義務を負うものであるところ、同人らは日頃から児童に対する協調性、非暴力の指導が不十分であり、監督を懈怠し、事故を未然に防止することができなかった。また同人らは事故発生後原告を施設の整った救急病院に同行するなどの適切な措置をとらなかったし、校医が単なる内出血と誤診した過失も学校側の責任に帰せられるべきである。
よって被告大阪市は民法七一五条または国家賠償法一条により原告に対し損害賠償義務を免れない。
(五) 原告は左眼が前記のような状態で、将来の就職、結婚が心配であり、心労甚だしく、不安な日々を送っており、この精神的苦痛を慰藉するに足る額は金四〇〇万円を下らない。
(六) そこで原告は被告らに対し各自金四〇〇万円とこれに対する昭和四五年一月二九日(二回目の手術の日)以降年五分の遅延損害金を支払うことを求める。
2 被告乙村の認否と抗弁
(一) 請求原因(一)の事実中、乙村正が当時大阪市立南市岡小学校六年生で、原告と同級生であったことは認め、その余は争う。
乙村正は昭和四四年五月一日午後〇時すぎ頃原告と丙川夏子から愚弄に似た嘲笑を受けたので、原告の背中を一回軽く押して原告の言動をたしなめ、その場は何事もなくおさまったが、放課後原告および夏子から「決闘しよう。」と申込まれ、講堂裏に呼び出され、つかみ合いのけんかになり、正がその右肩あたりを引張る原告を左手で払ったところ、運悪く原告の左眼に命中したのである。
(二) 同(二)の前段は争い、後段は知らない。
かりに原告の左眼が失明に近い状態だとしても、それは生来の近視が進行したものであり、正の行為との因果関係はない。
(三) 同(三)の事実中、正が当時一一才一か月(昭和三三年三月二七日生)の少年で、被告乙村がその母であることは認め、その余は争う。正は行為当時責任能力を備えていたから、被告乙村には監督義務者としての責任はない。
(四) 本件事故の経過は右(一)記載のとおりであって、児童のたわむれの一種とも解されるものであり、正の行為に可罰的違法性はなく、不法行為を構成しない。
(五) 被告乙村は昭和四四年一一月二八日原告に金五万円を支払い、両者間に示談が成立している。
(六) かりに被告乙村に賠償責任があるとしても、本件けんかの端緒および内容の面ではむしろ原告の方が積極的能動的であったことを斟酌し、相応の過失相殺をすべきである。
3 被告大阪市の認否と抗弁
(一) 請求原因(一)の事実中、乙村正が当時大阪市立南市岡小学校六年生で、原告と同級生であったことは認め、その余は争う。
昭和四四年五月一日の給食時間とこれに続く清掃時間に原告と正とがいさかいをおこし、さらに同日放課後裏門に近い講堂と倉庫の間に原告や正ら数名が集まり口論するうち、原告が正につかみかかり、のど首をつかんだので、正が左手でこれを振り払った際、その手が原告の顔面に当たったのである。
(二) 同(二)の前段は争い、後段は知らない。
原告の視力低下は体質的なものであり、本件事故と因果関係はない。
(三) 同(四)も争う。
(四) 本件事故はほとんどの児童が下校した午後三時四〇分頃教職員の目につきにくい裏門近くでおこった出来事であって、たまたま口論の途中に通りかかった茶谷教諭が、一団となっている原告ら数名の児童を見とがめて、すぐに帰宅するよう注意し、同人らは一たん帰りはじめたが、茶谷教諭の姿が見えなくなってから再びけんかとなり、本件傷害に至ったものであり、教職員に監督義務の懈怠はない。
4 抗弁に対する原告の認否
被告乙村の主張(四)ないし(六)、被告大阪市の主張(四)はいずれも否認する。ただし原告が被告乙村から金五万円を受領したことは認めるが、これは見舞金であり、一切を終局的に解決したものではない。
三 証拠≪省略≫
理由
一 事故の態様
1 ≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実が認められる。
(一) 昭和四四年五月一日正午すぎの給食準備中に、当時大阪市立南市岡小学校六年生であった乙村正と原告および丙川夏子とがいさかいをおこして、正が原告らを追いかけたり草履でたたいたりしたことに端を発し、同日放課後原告が夏子を通じて正に対し「決闘しよう。」と申し入れ、午後三時半頃同校裏門脇の講堂裏に、原告は夏子を連れ、正は丁山二郎ほか四名の級友を連れて集まった。そして双方の口論に続いて、正と夏子、原告と丁山がそれぞれけんかを始め、正が夏子を殴って泣かせたあと、今度は正と原告とがとっくみあいのけんかとなり、互いにもみあううち、正が左手で原告の左眼付近を殴りつけ、原告がしゃがんで泣き出したので、正はその場から逃げて行った。
(二) 原告は左眼に強い痛みを訴え、夏子に連れられて同校の保健室にやってきたので、高木養護教諭が応急の手当を施したうえ、小林眼科医院に連絡をとり、午後五時頃担任の八尾満里子教諭が原告を同医院へ同行し、治療を受けさせた。原告はそれからしばらくは同医院に、次いで多根病院に通院したが、網膜剥離をおこしていたため、同年六月六日大阪中央病院に入院して同月二七日手術を受け、八月に退院し、一時は小康を保っていた。しかし翌四五年一月になって再び左眼に網膜剥離をおこし、同月二九日再手術を受け、手術自体は成功したけれども、二回にわたる網膜剥離のため左眼の機能は著しく低下し、視力は昭和四六年三月の検査によれば裸眼〇・〇一、矯正〇・〇三であって、ほとんど失明に近く、今後回復の可能性はない(ちなみに傷害を受けていない右眼の視力は、昭和四六年三月当時裸眼で〇・〇五、矯正〇・三であった。現在ではコンタクトレンズを使用して中心視力〇・七を得ている)。
2 右に認定した事実によれば、原告の左眼の二度にわたる網膜剥離とこれによる視力低下が乙村正の殴打に起因することは明白である。≪証拠省略≫によれば、原告は小学校入学当初から近視で、二年生の頃から眼鏡を使用しはじめており、たまたま本件事故当日の午前中に行なわれた定期視力検査では、右眼〇・二、左眼〇・一(矯正視力はともに〇・三)という検査成績であったことが認められ、その後右眼の視力が前認定のように〇・〇五に落ちていることからすれば、たとえ本件事故がなくても、左眼も右眼と同程度位まで悪化していたであろうことは容易に推察できるところであるけれども、現況のように失明に近い状態にまではなっていなかったはずであり、正の行為との因果関係は否定しえないものといわなければならない。
3 被告乙村は正の行為に違法性がないと主張するが、小学校における児童のけんか自体は日常必ずしも珍しいことではなく、それが社会通念ないし条理上一般に容認される範囲内にとどまるものであるかぎりにおいては、一概に違法とはいいがたいとしても、それにはことの性質上おのずから限界があり、本件の如き重大な傷害をもたらしたけんかはもはや社会的に許容された行為として違法性を阻却するものとは解しえない。
被告乙村の右主張は採用できない。
二 被告乙村の責任
本件事故当時乙村正が一一才一か月(昭和三三年三月二七日生)の少年であり、被告乙村がその母であることは、当事者間に争いがなく、他に特段の事情のないかぎり、正はその年令からして前記行為の責任を弁識するに足りる能力を備えていなかったものと認めるほかはないから、正の母である被告乙村は民法七一四条により原告に対し損害賠償義務を負う。
三 被告大阪市の責任
1 ≪証拠省略≫によると、南市岡小学校においては下校前に学級毎に「終りの会」を開いて学校における生活態度を反省させ、男女児童間の協調融和に意を用いてきたのであるが、本件事故の発端となった給食準備時間におけるいさかいは八尾教諭の知らない間に行なわれ、放課後のけんかも教職員の目につきにくい場所を選んで隠れて行なわれたものであり、たまたまその途中に裏門付近を通りかかった茶谷教諭に口論を見とがめられ、早く帰宅するように注意されて、一たん中止したような素振りを見せながら、同教諭の姿が見えなくなるや再び口論けんかを始めて本件傷害に至ったものであることが認められる。
2 小学校の校長、教諭は、親権者等の法定監督義務者に代わって児童を監督すべき義務を負うが、その監督義務の範囲は、親権者等のそれが児童の全生活関係に及ぶのとちがって、学校教育の場における教育活動およびこれと密接に関連する生活関係についてだけに限られる。本件傷害事故は、さきに述べたように、学校敷地内での出来事であるとはいえ、放課後しかも教職員の目を盗んで行なわれたけんかに起因するもので、教育活動あるいはこれと密接に関連する生活関係から生じたものとはいえず、もはや校長や教諭の監督の及ぶかぎりでないし、また本件事故前の教育の過程においても、児童に対する日常の生活指導、監督に格別の欠陥はなかったと認められる。
さらに原告は事故発生後における教諭や医師の措置に過失があったと主張するが、前認定の事実の経過に照らし、高木養護教諭、八尾教諭らが原告を救急病院へ同行しなかったからといって、直ちにそれを過失だとはいえないし、また原告を診察した医師の所為は被告大阪市の責任の根拠とはならないから、医師の過失の有無は問うまでもない。
したがって被告大阪市は本件につき責任を負わない。
四 示談の成否
≪証拠省略≫によれば、本件事故後、隅田校長が仲に立って原告の両親と被告乙村との間に示談の交渉を進め、昭和四四年一一月二八日、金五万円の見舞金をもって一切異議なきものとする旨の示談書を作成して双方に一部宛提示したが、原告側は見舞金五万円を受領したものの、示談を確定的に了承するには至らなかった(原告側の所持する示談書には、原告の父甲野一名下にも捺印がなされているが、被告乙村側に渡されている分には甲野一が捺印しないままに終わっており、合意が最終的に成立したというわけにはいかない)ことが認められ、右五万円の授受をもって一切が終局的に解決されたものということはできない。
五 損害額
原告の左眼の機能は前記一1(二)のとおりであって、ほとんど失明に近く、両眼視の状態でも立体視、深視覚等に不都合を生じており、将来の生活に不安を免れないことは明らかである。しかし本件は、さかのぼれば給食準備中のいさかいがその遠因をなしているが、直接には放課後に原告が乙村正に「決闘しよう」と申し入れたことがきっかけとなって始まったけんかから生じた事故であり、その端緒において原告自身にも責任の一端が帰せしめられるべく、慰藉料額の算定にあたりこのことを斟酌する必要がある。そこでこのような事情をすべて考慮に入れて、本件事故により原告の蒙った精神的苦痛を慰藉する額は金四〇万円が相当であると認める。
しかるところ、被告乙村が原告に金五万円を支払ったことは当事者間に争いがなく、本件においてはこれは、見舞金という趣旨からして、他に特段の事情のないかぎり右慰藉料に充当されるものと解すべきである(ちなみに、治療費は学校安全会が、また付添費および寝具代は被告乙村がそれぞれ支払っている)。
六 むすび
よって原告の被告乙村に対する請求は、金三五万円とこれに対する昭和四五年一月二九日から完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は棄却し、被告大阪市に対する請求は全部失当としてこれを棄却し、民事訴訟法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤井正雄)